原田里史です。
早4年。
2015年6月5日の朝方に
母方のお爺ちゃんが
亡くなりました。
90歳を超えていて
最後は老衰でした。
よく動き回っていて
ユーモアをもって人をからかってくるし
一緒にいて愉快な人でした。
晩年は
腰痛に悩まされていて
自由に動き回れなくって
辛そうでしたね。
亡くなる3日前が
最後のお見舞いになりました。
その頃は、もうほとんど
喋れなくなっていました。
だから、
最後のお見舞いの日も
何かを話すこともありませんでした。
それどころか
痰さえも自分で飲み込むことが
できなかったんですからね。
痰がたまると呼吸が
できなくなってしまうので
看護婦さんが
吸引チューブで
吸いにきてくれます。
それは本人にとって
気持ちの良いものではないですよね。
その度に苦しそうに
顔をゆがめて
声にもならない唸り声を
あげていました。
看護婦さんが
部屋から出るのを見届けて、
そろそろ
あたくしも帰ろうと。
病室のベッドの枕元に近づいて
「お爺ちゃん、
今日はもう帰るね」
と伝えると
それまでは
意識もおぼろで
目の焦点も合わなかったのに
その日だけは
力強く目を合わせてくれて
「ありがとう」と。
その言葉を
返してくれました。
お爺ちゃんと
最後に交わした言葉の
やりとりでした。
でね。
葬儀も終わって
何日か経ってから
ふと、こう思ったんです。
心底かっこいい人だなぁ、と。
亡くなる前に
最後に孫にかけた言葉が
「ありがとう」
ですよ。
しかも、
本人の身体は
満身創痍で、
口にわけの分からんチューブを
突っ込まれて
苦痛に顔を歪めた直後。
そうでであったにも関わらず、
最後に絞り出してくれた言葉が
「ありがとう」
だったんです。
そういう
死に方をしないと
いけないなぁ、と。
うちのじーさまから
最後まで教わったわけです。
もちろん、
ビジネスの発信をしているから
商品が売れることも
サービスが売れることも
お金を稼ぐことも
生きていく上では
とても大切なんだけれども
身の回りにいる近くの人に
感謝の言葉を残して
幕を閉じれる
そんな生き方に
憧れるわけです。
あたくしたちの人生は
いつ幕を閉じるかは
決まっていないけれども
必ず幕が閉じることだけは
決まっています。
いつでも
発する言葉は
自分が選べる。
一緒に、悔いのない言葉を
積み上げていきましょうね。
今日もお読み頂き、
ありがとうございました。
またメールしますね♪